今年の自分を振り返るベスト10!みたいにしようと思ったのですが、どう考えても3つくらいにしか分けられない的な。。しかたないのでベスト3にしてみます。
そもそも今年本厄なワタシですが、代々の言い伝え無視する神をも恐れぬ動きっぷりでした。
ベスト1はやっぱりRAMONES展全国ツアーです。
何気なく、言われるがまま原宿で始めたこの展覧会が、まさかの全国ツアーに発展。
LONDON NITE体質で恵まれた環境でしか地方営業に行ったことのないワタシでしたが、自前のクルマを自分で運転して、最低限の経費しかもらわないという、出家信者にでもなるんじゃないか?というひた向きさで取り組んでみました。(全行程の半分くらいは遊んでるんですけどねw)
RAMONESが好きなだけでここまでできるんですね、人って。自分でも驚きです。。
なんだかんだ、この歳になってもDIYでやんなきゃなんないんですよね。
ホントにRAMONESファンが喜んでくれて、自分もうれしかったです。
自分にしかできないことができたと自負しています。よくやったな!オレ!
そしてベスト2はNorthern Soul DJを本格始動です。
先日のブログの通りなんですが、半年くらいで7インチを400枚くらいディグりました。
レコード集める直前までPCでDub Stepビキビキにプレイしていたんですが、ノーザンやると決めたらレギュラー・イベントも終了して、現在のCrazee Gold Mineをソッコー立ち上げました。
そして大阪でもノーザンDJとしてプレイできました。何度も言いますが、日本のノーザン・ソウルの総本山は神戸のヌードレストランにあります。
そのヌードレストランのDJイズミくんに繋げてくれて、自身のイベントOSAKA TWIS & SHOUTに出演させてくれたNIGHT BEAT RECORDSのオーナージェームスくんに感謝です!
日本一のノーザンソウルDJになるなんてふざけたことを言っていましたが、そのくらいの勢いが無いと中途半端な野郎が出てきたな、、でシカトされちゃいますからねw。
幸いのめり込む性格なので、ノーザンディガー2012くらいになっていればいいんですが。
最後は自宅にスタジオを作ったことです。
厄年だっつーのに家買って引っ越してスタジオ作っちゃいましたw。
そもそも自分の音源を作ったり、音楽の内職みたいなのをやっているんですw。実は。
他人のミックスダウンや、TV番組の音楽や効果音、今年はカプコンのDVDの音関係もやったな〜。
頓挫しているユニットもあるんだ!忘れてた!来年はそれやんなきゃ!
ちょっぴりこだわったスタジオ、雑誌とかにもいくつか紹介されました。詳しくは是非コチラをご覧ください!MIX CDの制作もできます〜!
自分にとって2012年、スゴく良い年でした!
2013年は全くノープラン(具体的に決まってないけど構想はある)ですが、やりたいことを全力でやっていることと思います。
そして今年掲げた大きな目標RAMONES DINER & MUSEUMも生きてるうちにやりたいです。協力してくれる方は常に募集しています!よろしくお願いします!
今年はいつもの年にないくらい多くの人にお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
みなさま良いお年を!!
Sunday, December 30, 2012
Wednesday, December 26, 2012
Northern SoulのRock的解釈
今年のGW明け梅雨くらいの時期から、本格的にノーザン・ソウルのレコードを収集し始めたワタシです。
DJを始めた90年代の後半から、こそこそノーザン・ソウルのコンピとか買って聴いていましたが、本格的なDJをするためには7インチが絶対に必要でした。そうなんです、7インチ文化なのです。国内外問わず本気のDJたちはレアなオリジナル盤でプレイしています。
そもそも「Northern Soulってなんじゃい?」って思っている人が大半だと思います。それをワタシなりに説明してみたいと思います。
70年代、イングランド北部の工業都市の労働者階級の人々が熱狂していたダンスとその音楽のことです。ウィガンという街にカジノという代表的なクラブ(ヴェニューと言った方が良いのか?最初の動画をチェック!)ががありました。サザンソウルというジャンルがあるので、アメリカ北部と思ってしまう人がいますが、ノーザン・ソウルはイギリスの文化に当てはまる呼び名です。
DJの自分が言うのもなんですが、ノーザン・ソウルはダンスの方がメインな文化ではないかと思っています。日曜日しか休みがない労働者達のストレスの発散が、ブレイクダンスの元になったとも言われるアクロバティックなダンスを生み出したと思います。そのアクロバットなダンスをするための曲を総称してノーザン・ソウルと呼んでいます。
ソウルというと、黒人ボーカルの甘いヤツとかやたらファンキーな曲を想像する人は少なくないでしょう。実はノーザン・ソウルは全てがそういうわけではないのです。ここが面白いところです。
Gary Lewis & Playboys、The Human Beinz、Mitch Ryder and the Detroit Wheels等の白人のバンドの一部の曲もノーザン・ソウルとされています。これを知った時にはアツくなりましたよ。。
しかも、70年代のムーブメントにも関わらずプレイされる曲のほとんどが60年代中〜後期が中心なのです。(70年代のディスコ的なモノもノーザン・ソウルでありますが、ここでは割愛)
60年代中〜後期と言えばモータウンが一世を風靡しました。流行っているモノに続けとばかりに量産された、マイナーレーベル産のモータウンビートの曲達がノーザン・ソウルの柱になっているのです。
ワタシ達ロックファンはシュープリームス大好きじゃないですか?マーサとヴァンデラス大好物ですよね?60年代のガールグループの曲は沢山のロックバンドにカバーされていますよね?ここなんです、ワタシが興味をひかれるところは。やたらと黒っぽくないソウルがノーザン・ソウルなんですよ。誤解を恐れず言うとソフト・ロック的要素もたくさん含まれています。
我々ロンドン・ナイトはイギリスの音楽もちろん好きです。PUNKなんて3度の飯より好きでしょ。The Jamのこの曲なんてThe World Columnの"So Is the Sun"の何ものでもないのです。
80年代のニューウェイブでSoft Cellが大ヒットさせた"Tainted Love"を忘れてはいないでしょう。あれはまさにノーザン・ソウルの代表的な曲なのです。Dexys Midnight Runnersもノーザン・ソウルのカバーやってます。
ワタシがDJを本格的に始めた90年代後期はイギリスではビッグビートというダンスミュージックが流行っていました。ワタシもビッグビートをきっかけにDJ始めました。そこでもノーザン・ソウルの影響は大きかったのです。Fatboy Slimの大ヒット曲"The Rockafeller Skank"は何を隠そうノーザン・ソウルをサンプリングしているのです。
ワタシが突然ノーザン・ソウルをおっ始めたと思われがちなんですが、実は使えるノーザンはロンナイ全盛期の頃からちょいちょいかけていたり、さりげなく毎年出演しているMODS MAYDAYとかでノーザン比率が徐々に高くなったりと、ちらほらやってはいたんです。。こうやってイギリスの音楽と親しんでいると、勝手にノーザンの影響を受けているのですよ。ノーザン・ソウルに限らず音楽のルーツを探ると、自然とバックグラウンドは見えてくるのです。
でも、、勝手におっ始めたのはやっぱ事実で、、全然仲間とかいなくて。。ダンサーの文化でもある!とか言いながらダンサーもいなくて。。。MODS関係の先輩からFACEBOOKとかでいろいろ紹介してもらって。。。東京スッ飛ばしていきなり日本のメッカ関西でプレイさせてもらって。。。1個勲章持って帰ってきたら、東京でもいろんな人達と繋がれて。。。ノーザン・ソウルの輪が広がってきました。(てか、オレが東京で一番新しいノーザンDJなんだけど。。入れてもらってる的な。。)
一番うれしかったのはダンサーの峰明(みんなやまちゃんと呼んでいるか?)と出会えたことでした。
やっぱダンサーいないと始まんないですからね〜。どんなパーティーでも雰囲気を作るにはお客さんも重要なワケです。ワタシが若い時にもロンドン・ナイトに不良の兄ちゃん、カッコいい姉ちゃん達が作る空気みたいなものがありましたからね。ワタシの場合は緊張感と言った方が良いかもしれませんが。。
ノーザン・ソウルからすればダンサーは花形です。ダンスミュージックでダンスパーティーです。それを変な法律でゴチャゴチャやられていますが。。。この話は1回保留。。。
どっちにしてもストリートな感覚がノーザン・ソウルにもロンドン・ナイトにもあります。ワタシには共通項が多いのです。DJがセレブなんてチョ〜〜〜サックです。。そこのハコにいる人間はみんな同じ立場なんです。ダンサーとDJが共存できるパーティーを目指してます。(そんなの当たり前だな)
まずはワタシが初心者みたいなモノなので、わかりやすくて親切でノーザンのダンスも曲も教えてもらえるパーティーを来年ダンサーの峰明とやろうと企んでいます!まあ、東京なんでどうにでもできると思いますので、その時はみなさん遊びに来てください〜!
Friday, December 14, 2012
Crazee Gold Mine 忘年会スペシャル!
今年最後のCrazee Gold Mineは忘年会ということでゲスト盛りだくさんです!
大貫憲章さん
おなじみ我らが師匠です。大貫さんには日本のグループサウンズのみでDJやってもらいます!実はめっちゃレアですよ、GSオンリーのDJは!CGM流の6T'sスタイル。てか昭和で!
Dr.IHARAさん
CLUB SKAのREBEL兄貴です。ジャマイカとかUSとかだけでなく全てのREBEL MUSICに精通していて、今でもDr.IHARAさんの選曲は参考にさせてもらっています。DJ MIXのスキルもハンパないです!
なるきよさん
青山の立ち飲み屋のオーナー板前の彼、実はレアな古着とヴィンテージ・ラテンミュージックのコレクターなんですよ〜。50'S & 60'Sならジャンルを問わないのがCGMなのです!
今回もTAGO! & katchin'のスプリットMIX CDを先着でプレゼントします!
前回はなんと!ヒカルさんまで来てくれました!最近は7インチのみのDJにも興味を持っているようです。PUNKで45オンリーヤバいです。。
今回もこのバッジもらえるかもよ〜〜
Crazee Gold Mine
12/26(水曜日)23:30〜(毎月第4水曜日開催)
渋谷organ bar
大きな地図で見る
Sunday, December 2, 2012
Saturday, December 1, 2012
ありがとうございました!
う〜ん。。終わりましたNothing But True PUNK RAMONES EXHIBITION。。
きっちり1年間やりました。全国ツアーしました。スゴく楽しかったです。RAMONES大好きなんで。
どこかで区切りはつけないといけないと思って、ツアーの最後は原宿で。
GABBA GABBA HEY!のプラカードの裏面に書いてある、1年前と全く同じ日付を振り返る。kit galleryに毎日通ってくれたヒカルさんが1日1本チャーベさんと作ってくれました。
そのプラカードがRAMONES展の名物になって、全国のRAMONESファンを楽しませてくれました。このプラカードが無ければ、こんなに反響はなかったと思います。ヒカルさん、ありがとうございました。
ヒカルさんは今回の原宿ではレジ袋に手書きでRAMONESのロゴを書いてくれました。もらった人達はみんな喜んでました。
最終日にお客さんがたくさんいる中を、ヒカルさんが静かに帰って行かれた姿が、もう終わりなんだなと感じて少し寂しかったです。原宿ではヒカルさん、チャーベさん、ワタシの暗黙の一体感がありました。なんの打ち合わせも無いのに、とても自然な感じ。全てはそこから始まりました。
全国ツアーもクルマで行きました。それはしんどかったですよ。。
最初はチャーベさんと2人で行こうと考えていたんですが、原宿でも手伝いをしていた在哲を、心斎橋digmeoutで行った最初の大阪展に連れて行き、これは3人いないと無理だと気づきました。
初見の会場でワタシがレイアウトを考えて、それを2人が展示していくコンビネーションが確立しました。
クルマの積み込みも上達していき、最初は3人でギリギリだったのが4人で行けるまでになりました。
さすがに片道10時間以上のクルマ移動となると、帰りの運転が一人だと厳しいので、そういうときは後輩のカズヤを連れていき帰りの運転を手伝ってもらうこともありました。
往きは、どこの土地でも完全に自分一人で運転する目標をナゼかたてていました。なので必ず地方展示初日は36時間徹夜でした。そして土曜日は地元の負担を減らすために、パーティーやイベントを行い経費を作りました。日曜日の最終日は展示終了したら即撤収でそのまま東京に帰ります。後半の撤収の早さはプロの域に達していましたw。
途中から慣れてきて在哲と2人で行くこともありました。地元の方々はどこでも手伝ってくれるので、ホントに助かりました。金沢ではマブダチのトシさんが主催してくれたことをいいことに、遊び惚ける始末。。だけど一番パーティーが盛り上がりました。群馬は地元なので、無理矢理後輩のJOJOに開催させ、先輩パワーを炸裂させました。パーティーのゲストDJとしてTAGO!さんとLODIOを呼んで、警察来ちゃうくらい盛り上がりました。
朋友早朝ピストンズの地元広島では、向こうもこっちも開催は当然と以心伝心。地元の方々総出で応援してくれました。そこで作ってもらったRAMONES展の看板はそれ以降どこの土地でも使わせてもらいました。
広島までクルマで行けたら、福岡なんてもうすぐじゃん!なんて軽い気持ちで福岡開催を決定。一人で完走の目標もくじけそうになりましたが、関門海峡を見て復活!おいしいもの宝庫で毎日うまひゃい出ました。ただ帰りはもう一泊するべきでした。。運転を途中で放棄しました。。それを踏まえて宮崎は飛行機で行かせてもらいました。飛行機でもいつもと同じコレクションを持って行けることを知ったけど、残念ながらそれ以降は乗っていません。。宮崎の気合いは一番でしたね。仙台では壁に穴を開けるのに相当苦労しましたが、ユキさんを呼んだり、ロンナイの先輩稲葉達哉さんもDJしてくれたり、内容はカナリ濃いモノができました。一番最後の地方展は名古屋でした。みんなのリクエストが一番多かった街なので絶対にやりたかったので、ホントに開催できて良かったです。ヒデオとTHE BE SHAREさんには感謝です。大阪は違う趣で2回もRAMONES展できました。今年はDJを含め3回も大阪行けて最高でした。
この1年間RAMONES展を通じてRAMONES FC JAPANとも連携してたくさんの楽しいことを作れました。
会長ユキさんを呼んでトークショーをしてもらった仙台と宮崎。ZERO MAGAZINEの安田さんと企画した、関西初のFCイベント。自分の方もFCの企画に参加させてもらいました。亀戸から場所を移した中野のFCイベントにはトークショーの相方として。CJ RAMONE来日イベントのDJとして。
やはりユキさんはRAMONESの世界的権威ですから、我々日本のRAMONESファンはラッキーですよ。トークの相方しながら初めて知ることがたくさんあります。
彼女のパワーとRAMONES愛で自分も動かされました。ホントにRAMONES展やって良かったと思います。
ここで一旦RAMONES展は終わりますが、これをやったことにより使命感に燃えています。日本にRAMONESのミュージアム&ダイナーを作る。これを次の目標にがんばります。と、言うのは簡単ですが結構大変そうですね、、実際は。。ホントにいろいろ勉強しなきゃですね。今まで好き勝手生きてきたので、この目標もどうにかしたいです。
みなさまのご指導よろしくお願いします!
来てくれたみなさん!本当にありがとうございました!
次はダイナーで会えるようにがんばります!
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